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日本での保険の歴史を学ぶ

福沢諭吉が持ち込んだ保険の考え方

日本では、江戸時代はもちろん、明治時代に入っても親戚同士で助け合う家族制度があったため、現在のような保険制度という考えはありませんでした。

そんな時代に福沢諭吉が「西洋旅案内」という著書の中で、ヨーロッパでの保険制度を紹介しました。その考えを受け継ぎ、福沢の門下生が、明治14年に明治生命を設立しました。これが、日本初の生命保険会社です。

諭吉ニヤリ

保険事業への批判

家族制度が当たり前の時代だったため、なかなか生命保険は浸透しませんでしたが、徐々に加入者が増えていくと、状況も変わり始めます。

「保険は商売になる」と考えた資産家達が、保険会社を次々に立ち上げました。しかし、当時は保険業法などという法律はなく、会社の利益を追い求める株式会社タイプの保険会社がほとんどでした。

その結果、「人の生命を道具にして、お金儲けをするとは何事だ!」と生命保険会社に対する批判が多く見られるようになってしまいました。

政府も黙って見ているわけにはいかなくなり、保険業への監督を行うようにした他、明治32年にはドイツを見本にした保険業法が制定されました。

反対運動

保険が浸透し始めたきっかけ

生命保険は、加入者(被保険者)が死亡することで苦しい生活を強いられてしまう遺族を救済するためのものです。そのため、保険が必要だと感じられるきっかけは、人が多く死んでしまう出来事でした。

明治27年の日清戦争や、明治37年の日露戦争後、戦死者の遺族に保険金が支払われ、生命保険が有用なものだと理解されはじめるようになったのです。

そして、大正時代に入ると、戦争以外でも身内が突然死亡する可能性があるということを、人々は思い知らされます。大正7年のスペイン風邪の流行と、大正12年の関東大震災です。この時も、非常に多くの保険金支払いが行われました。

こういった出来事を経て、さらに必要性が意識されるようになり、生命保険は私たちの生活に密接なものへと成長していきました。

その後、業界内での競争や淘汰が激しくなる中、不正な募集方法が横行するなど、再び批判にさらされることもありました。しかし、国民の間に生命保険の必要性は浸透していたため、様々な規制が設けられながらも、日本の保険制度はさらに広がり、発展していったのです。

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